2012年01月07日

林光さん追悼そして歌の力?

作曲家の林光さんが亡くなった。
音楽家が社会にできることについて考え続け、実践した人だったと思う。
林さんのかいた「ピエロのうた」が私は好きで、人前で歌ったこともあった。

♪この世の中にゃ 壁がある
目にはみえない 壁がある
舞台の上で ピエロが死んで
こっちのほうじゃ だんながたが笑いの涙
上と下ではおおちがい
壁の見えないピエロのまぬけ
舞台の上から おちて死ぬ♪

作曲家であるからもちろん、軽妙洒脱なユーモアあふれたメロdYとテンポが
いいのである。

20代のころ、市民運動の中で歌をつくっていた。
あるコンテストで入賞したときに
審査員だった林先生にほめられて舞い上がった。
ていねいに講評したお手紙もいただいた。

それが小さな成功体験となって
その後も思い出したようにときどき、歌をつくることにかられる。
コンサートを制作するのも楽しいけれど
自分の内面から出て来た歌は「お願い、聴いて』と
道をあるきながら友達にきいてもらったり
場所なんて選ばない、それは私の勝手だが
聴かされたほうはなんと迷惑であったろう。

林さんのご冥福を祈りながらそんなことを考えていたら
古巣の横須賀なかまの、うたうたいで絵描きのみどりちゃんから電話。
「いま新年会やってるんだけど、あなたが昔つくった歌について話が出てさー」
「え」
みどりちゃんはもう四半世紀、反原発の活動をしている。
私も住んでいた久里浜にはジャパン/ニュークリア/ヒューエルという核燃料工場があり
全国の原発に燃料を輸送して30年以上。

学卒後間もない頃、労災職業病センターの友人たちが地域住民に健康被害がないか
ききとり調査をするというのでくっついていった。
ある家の玄関口で主婦が「あそこの下請けで働いてた息子が3年前に死んだんです」
衝撃を受けたわたしが25年前にかいた歌のことをいまみんなで
話しているという。「歌の力でしょう」という。

♪ぼくは25歳 下請けの作業員
いつも白い粉の舞い上がる袋運んでた
ある日歯医者さんで奥歯を抜いた
ああどうしたことか 血が止まらない
赤い川となって ぼくを連れ去った

(JNFのうた」 冒頭)

みどりちゃんは続けて言った
「来週、横浜の反原発世界会議であたしたち
チーム/ヨコスカで出るから」
彼女もどこででも歌うひとだ。
チーム/ヨコスカのブースを見かけたら
「JNFのうた」をリクエストしてくださいませ。

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2011年03月13日

地震後にロジャーズ

3/11に大地震が起きた。
電車が止まって、被災地でない横浜でさえ停電し、職場から帰ってくるのが本当にたいへんだった。
でも、もっとできることがあったのではないか、あるのではないかなどなど
こういう時は無力感に襲われるものだなぁと思う。
でも、「節電して、ふつうに、人とのつながりを信じて過ごすことが大切」
とジャーナリストの江川詔子さんがツイッターでつぶやいているのをみて
本当にそうだなあと思う。

インターネットは頼りになるなぁと感動して
ツイッターとメールとにらめっこしていたら今度は疲れてきて
(合間にこどもが「友達にもおいしいとろろ昆布のおつゆを食べさしてやってくれ」(放射能被害対策)と連れてきたりして)
こころは自由を求めているんだわと思う。
平常心を取り戻すために
写経みたいに、最近読んでよかったフレーズを書き留めておくことにした。

出典は『表現アートセラピー』
ナタリー・ロジャーズ著、小野京子・坂田裕子訳、誠信書房、2000年、4500円もする本。
横浜市の図書館で借りた。

ナタリーはカールの娘である。こんな大家の父をもった娘のたいへんさを私は想像する。
父は20世紀のカウンセリングの大家であり、娘はその父が亡くなった時の喪失を
自分の心の絵を描くことで乗りこえたらしい。
なかでも興味深かったのは
「表現アートは影を自覚し影のなかへ旅することでそこに光をみて力を得ることができる」
それが人格の統合だと言っている
しかし、「父」は自分の怒りに気づきにくいことを認めていた、「私」にとって怒りはとても大切な感情であるのに、と。
1970年代後半にともに仕事をしたときに気づいたそうです。
それ以来? ナタリーは怒りを言葉やアートで表現するのをサポートすることに最善を尽くしているという。
それはとくに女性に有効である、と。それはとてもよくわかる。ようなきがする。

  私の育った家にも有効な家族モデルというものはなかった。
  権威のある父と 従う母。
  母が40歳の時に自分を主張し、怒るのを初めて見た。それはとても新鮮だった。
  それからどんどん母は変わっていった。それで私は救われたと思う。

表現することは心の中心の穴ぼこに手をさしのべるようなことではないだろうか。
ナタリーはそれを「切り捨てている部分を抱擁するために影のベールを取る」
「そのためには安全な環境が常に第一に必要な条件である」と言っている。
場をつくるファシリテーションのあり方に直結することである。

◆創造性を促進する条件

1 心理的安全
  ・人をかけがえのない存在として無条件に受容する。
  ・外からの評価のない環境を提供する。(私たちは競争、成績、評価が常にある社会で生きている)
  ・共感的に理解する。
2 心理的自由
  社会で生きている限り行動は制限されているもの。でも表現は制限される必要がない。それは象徴や隠喩となって、相手を傷つけることなく閉じ込められた感情を解放する。そして言葉をこえたメッセージを伝え得る。

(ここまで、1と2は創造性の土壌としてカールが提唱していること、次の3はナタリーがつけ加えたこと。「土壌に種子は植えられねばなりません」と言う。)

3 刺激され触発される体験を提供
   正しいとか間違っているとか、点数がつけられるような場ではない、批判されない受容される空間で深く没頭し、探求し、正直に無邪気に表現を実験することは、多くの人々にとってまったく新しい体験になる。
   それは他者に評価を求めず、自発的に表現する自由を取り戻すことなのだ。技巧とかスペシャリストとかではない。個人的な成長に焦点を当てて、アートを使うことができる。

 
◆信頼に値する有機体としての人間
(カール・ロジャーズ)

パーソン・センタード・アプローチ(来談者中心アプローチ)の基礎は、人間は基本的に信頼に値する有機体であり、外的内的な状況を評価し、その文脈で自分自身を理解し、人生の次のステップへ進むための建設的な選択を行い、その選択に基づいて行動することができるという前提に基づいている。

そのアプローチの信念は、セラピストがクライエントをコントロールしたり、クライエントのかわりに決断することを意識的に放棄し、クライエントによる自己管理を促進し、それに必要な方策を立てることである。つまり、意思決定の中心がクライエントであり、その決定によって生じる影響の責任もクライエントにゆだねる。

   ・・・私はまったくセラピストではないのであるが、でも人のサポートをする仕事をするうえで
     ほんとうにそうだよなあと思う。しかし、実際に「ゆだねる」はかなりむつかしいことである。
     こんなふうにしなくてもいいのに、とかつい何か言いたくなったりしてしまうから。


◆共感、自己一致、無条件の肯定的関心

AとB(セラピストとクライエント、親と子供、リーダーとメンバー、先生と生徒、経営陣とスタッフ)どの関係をとっても、人の成長を助ける環境をつくる上で3つの条件がある。

1 自己一致または 純粋で、リアルであること
優位に立つAが関係の中でより自分自身でいるようになり、専門家的な態度や個人的な仮面をつけないようになると、(優位でないほうの)Bはより建設的な方法で変化し、成長する可能性が高まる。
これはAが自分の中で流れている感情や態度にオープンであるということ。からだの奥底で体験していること、気づいていること、そしてBに表現することの間にほとんど差がない、一致しているということ。

2 無条件の肯定的関心
Bがどんな状態にあってもAが肯定的であって批判的ではない、受容的な態度をとるときにBが前に進む変化が生じやすい。
Bがその時感じている混乱、恨み、おそれ、勇気、愛、プライドなど、それがどんな感情であれ、Bが感じるままに任せるというAの意志を含む。それは支配的ではない思いやりである。Aが条件付ではなく、全体としてBを尊重することである。

3 共感的理解
Bが体験している感情や個人的な意味をAが正確に感じ取り、受け入れ、理解し、それをBに伝えること。この機能がよく働いているとき、Aは相手の個人の内界に深く関わっているため、Bが気付いていることのみならす゜、気づく一歩手前のことをも明確化できる。このような積極的な話の聴き方が、変化へのもっとも強力な力のひとつである。

このような研究は欧米では1949年から現在(1980年)までずっと行われてきており、心理療法における態度と行動の変化、などなどにおいて肯定されている。

  こういうことを取り込むことなくして、日々の仕事ができない。
  理解しても葛藤の日々ですけど。。。まだまだだなとおもうことばかり。

  経験は自分を変えるものだと思う。
  「父の娘」であった私は若い時、心理学を軽くみていた。
  父は米国的な行動療法が多分きらいだったのだ。
  でもいま私は思う。
  人格なんて自分のでさえそうそう取り扱えるものではないんだから
  行動を変えたり、スキルを上げられることは希望である。救いである。
  人は変われるんだと思うから、生きていけるのであって。仕事もできるのであって。


  ところで、私のがんこな父はまだ生きている。
  母に支えられて、いばってますます片意地はって生きている。
  私は自分が40歳の時に父との関係を棚卸することができたことをほんとに感謝し
  そのとき助けてくれた友人たちにいまも敬意をもっている。


写経日記おわり。
被災地の友人たちは無事であろうか、本当に気がかりだ。

  

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2011年01月09日

みんなの本『イ・ミョンドクさんのこと』

昨年夏の寿夏祭りに行った時、ああこういう手作りの場は昔たくさんあったのに、
なかなか希少になってしまったなあと思いつつ
私たちみんなの友人だったイ・ミョンドクさんのことを思った。
変わっていく町。疲弊、高齢化、不況、、、それは寿町だけではないのに
寄せ場には直撃してしまうのだ。
(いくつか前の日記につらつら書いた。)

時間のできるお正月に、友人から教えてもらった電子ブックのサイトでみんなでどうやって
本を充実できるのかタネ本をつくってみようと楽しみにしていた。
本日完成。めでたい。
いえ、まだ写真を入れたりする楽しみが残っていますのですが。。。
ご覧いただき、みんなで寄せ書き合っていけたらうれしい。

http://p.booklog.jp/book/17137


故人となったイ・ミョンドクさん、寿識字学校を主宰されていた故・大沢敏郎さんに
謹んでこれを贈ります。
労作を残してくださった川本友紀さん(ご挨拶まだできていなくて申し訳ないです)と
寿支援者交流会に深謝します。
posted by こぞっぺ at 21:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月10日

生きのびるうた、生きのびるためのうた

posted by こぞっぺ at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌を届ける | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月25日

100回は生きる猫


   川

マンガを買って私はあなたと笑いにいく
西瓜を貰って私はあなたと食べにいく
詩を書いて私はあなたに見せにいく
何ももたずに私はあなたとぼんやりしにいく
川を渡って私はあなたに会いにいく


  未来

たった今死んでいいと思うのにまだ未来がある
あなたが問いつめ私が絶句する未来
原っぱでおむすびをぱくつく未来
大声で笑いあったことを思い出す未来
もう何も欲しいとは思わないのに
まだあなたが欲しい


  死

私ハ火ニナッタ
燃エナガラ私ハアナタヲミツメル
私ノ骨ハ白ク軽ク
アナタノ舌ノ上デ溶ケルダロウ
麻薬ノヨウニ


  谷川俊太郎詩集 『女に』 佐野洋子絵 1991


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『100万回生きたねこ』で
「ねこは王様のねこでもなく 船乗りのねこでもなく
自分のねこになりました」というくだりが
わたしは好きでした

でもねえ
絵本のようにすきなねことぱったりとはいけないでしょう
佐野洋子さん
あなたもひとりでいったのですね
「死」を書いた詩人はあなたの骨を拾うこともなかったのかな

まぼろしと現実のあわいで
せめて100回は生きる猫に
わたしはなりたい

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posted by こぞっぺ at 19:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月17日

2010年の夏★覚書

w02.jpg 「飛翔」 1958年

8月15日に、葉山の県立美術館で開催されている 「浜田知明の世界展」にいく。
銅版画というのはとても幻想的な手法だと思う。
いつか見たいと思っていた作家だった。
1917年生まれ。まだ生きていて、創作しているということにまず驚く。
戦後「初年兵哀歌」「いらいら」など精力的に彫ってきて、また最近は
中国で兵卒として行軍していたときの光景に戻ってボールペンで描いたりしている。
あらわさなければいられないものが作家に宿っているのであろう。
そんなふうに創りつづけられるって壮絶。
いのちのじかんはなんて貴重なのだろう。

8月12日。
寿町のフリーコンサートに出かけた。
以前は日曜日にどこからかやってきた若者であふれていたけど
平日に町の人たちが楽しんでいる、というふうなのがよかった。
活動家の人たちがすごくとしをとったな、となつかしく思った。
それでも、フリーコンサートなんていうものがあちこちにあったの゛かなくなってしまったなかで
すごいコミュニティである。
照明がちかちかする装置をボランティアみたいな若者が手元でめまぐるしく操作していた。
それは素朴な木箱でつくられており、あんまり効果のほどはないのだけれど
手作り感だけは妙にあった。
中ムラサトコちゃんのバンドを見たくて行ったのだけど
久しぶりの友人にも会えたし、
いろんなことを思い出したりした。

なかでも、識字学級で、朝鮮戦争のとき子どもだった自分の壮絶な体験を書いていた
い・ミョンドクさんのことを思った。
ミョンドクさんは出稼ぎに来た労働者だった。
仕事があったりなかったりした。
キレイ好きで勉強家で、寿町からできれば抜け出したいと思っていたようだった。
なかよしになった。
今は成人した私の娘をかわいがってくれた。
カゾクと縁がなくなって、ひとりで生きていた。
年老いて、連絡がなくなって、風の便りに亡くなったときいた。

みなとみらいの埋め立てやランドマークタワーの建設や
船の地下倉庫の清掃や
景気のいいときはいつも寿町から人が働きに行っていたのだ。
そんなこともなかったかのように、知らずに
最近寿町で活動している団体が、「生産性のない、生活保護の町」というような
かんちがいのビデオを流布している。
事実を記録する人はいないのか、と
強く思う。

ミョンドクさん、あなたの生きて残した日本語による作品を
また読み直すよ。
作品ブログにするよ。
ちょっと待っててくださいね。


8月4日。
大阪応典院にて。上田かなよさんの「詩の学校」に参加する。
お寺の墓地で詩作をする。参加者全員が自分の作を披露しなければならない。
大阪ダルク(薬物依存の人々のグループであり、施設)のめばさんがその場で
思い起こした仲間たちの死をライブで読んでくれた。
といっても原稿はない。
ひとりひとりの像が立ってきて、涙する。
そんな人たちの屍を超えて生きているわたしたち。
いつか土に返るわたしたち。


7月。
かねてより妄想たくましくしていたネットラジオの「ラジオガールズ」、一作目完成す。
いつも思うのだけれど、それぞれの味わいとちからをもちよると、たいそう愉快なことができる。
お世話になりましたみなさん、コメント寄せて下さった方々、ありがとうございます。
またやりましょう。

6月。
桐野夏生の『ナニカアル』、ヒットであった。
林芙美子という人は愉快な人だ。同時代に生きていたら、近くにいたら、いやな女だったのかもしれない。
そういう風評をよく聞く。でも、イデオロギーも何もかんけいなく、ただ生きて世に認められることに
女の人が執着する。
戦時中にインドシナで、インテリの恋人に作品と生き方を否定される。それでも
生きのびて、書いて書いて、名声を求めて、お金を稼いで、いい着物を着て、死んだ。
わたしは『放浪記』より『浮雲』が大好きだ。





posted by こぞっぺ at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

フェミニズムはだれのもの?

im2512.jpg という本を読んだ。
http://www.jimbunshoin.co.jp/mybooks/ISBN978-4-409-24086-1.htm
全編が集団討論みたいなつくりで、久々に本から刺激を受けた。
第1章ではからずも上野千鶴子さんとのやりとりがでてくるが、10年ほど前の上野さんの『ザ・フェミニズム』も刺激的だったけど、この本からは、次の地平は新しい共同の力によってひらけるだろう、そこに参加していこうと思わせる温かい希望が感じられた。
きっと四六時中議論を重ねて数年間つみあげてきたのだろう、執拗ともいえるロストジェネレーション当事者たちの粘り強さに脱帽。

実質上、編集者の栗田隆子(りゅうこ)さんは、落語家のようにしゃべり、哲学者のように文を書く。
一回り下だけど、なんだかすごく感覚が通じるところがある、と初めて会った2年前に思った。

どうあがいても、がんばっても、世の中と自分、今いる場所と自分は ずれている、という感覚は子どもの頃の体験によるところが大きいのか。このがんばりって壮大なむだなんじゃないの、としょっちゅう思ったり。
どうせずれているなら、いままでなかったとされていたものを発掘して、ことばにしていきたいという欲望。
そこから何か新しいものを、人々の中で共同でつくりだしていきたいという希望。
しかも、コトバを突き詰めていくだけじゃなくて、いろんな持ち味とか、とりわけ「笑い」やユーモアがほしいよね、というような感覚
(それってフェミに欠けていたものなんでは。女の人のきまじめさが社会を支えてきたけど、絵に描いたようなまじめな主婦、まじめな母って人や子どもを追い詰めると思うのだ)。
そして人との共同作業の中でコトバや場をつくっていくのをおもしろいと思う習性、そのなかでの人への期待・信頼感(片思いになることも含めて)などなどに、勝手にシンパシーを感じている。

『フリーターズフリー』の編集人たちは3人の男性を含めて、とりわけ女子の労働について、考え続けている。
労働と、性や暴力とのかかわりについても。

若い女だったときに私が感じていた居心地の悪さ、皿に乗ったさしみのように自分は刻々と腐っていくのではないかというおそれ。肉の臭い・・・。それらに疲れて
もう面倒になってだれかと対になったり、子どもを産んだりしても数年で忙しさは終息し、若いとき置き去りにした問題たちが浮上する。40代はそれとの格闘であったような。どこまでいくのか、ぬかるみを・・・
と思っているうちに働く場もどんどん変容していく。人は例外なくコマのようになっていく。
そうでない労働の場はどこかにつくれるのか。
働く者のピアなささえあいを維持するのにも、エネルギーが枯渇するような日々だ。

第5章「フェミニズムとカトリックのあいだで」の対談は圧巻だった。
栗田さんの思索の足跡をたどって、その粘り強い仲間みんなで語り、大いに「モテ」ていた(ようにみえた)。時代は変わったんだな、と思った。

・本も好きですが、やっぱり決定的に自分が変わっていったのは、人との出会いなんです。人との出会いののなかで本が生まれていくということを、見える形で伝えていきたい。

・(「書く」「祈る」「産む」などの)ひとりで行っているような行為の中に、実は多くの人がかかわっているということを感じます。それを伝えたい。

・聖書はだれが書いたかわからないけど今も流通している。シモーヌ・ヴェイユも晩年は民話や童話の中の匿名の知について触れている。単純に有名になることで文章が流通するのではない。また匿名ゆえに無責任になれることともちがう、「知」の流通が必要なのではないか。


私たちには署名入りでなく文を書く機会がたくさんある。1枚のビラ。案内。読み原稿ひとつ。
本当に伝えたいことを伝わるように伝えられるのか。
ということをときどき考える。伝えたいことは何なのか、ということも。


『フリーターズフリー』3号も、もうじき出るのだろう。
「知」のふろしきを路上にひろげる、行商人の栗田さんが浮かんできた。
給料もらう仕事をやめて専念するという。路上落語ライブでもやってください!
手伝います。


◆追伸
そうでした。以前職場で話していただいたときの映像がありました。語り口調がきこえます。
http://www.youtube.com/user/ywfkoho045#p/a/u/0/99KIFZh19TY
posted by こぞっぺ at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

保土ヶ谷宿場さんぽ

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天気のいい日に、歩いて30分ぐらいの保土ヶ谷駅路地裏をのしのし歩いた。
威勢良く歩いているつもりなのに、牛のようね、といわれる。

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ビルとビルのすきまに、お稲荷さんが、背を向けてたたずんでいた。

2010_0502ka0019.JPG 桐の花が咲いていた。

宿場そば「桑名屋」さんはまちかど博物館にもなっていて、4代目店主の近藤さんはたいへんな
街づくり名人であった。(右は違うお店。洋装リリー という看板に藤の花がなんとも)

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1階に飾られていた「旧保土ヶ谷駅」の写真・・・
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そこから、ちょっと路地を入ると、「第二常磐湯」発見!!
今度入らなきゃ。
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おやすみなさい。。。いい夢を。
posted by こぞっぺ at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地裏さんぽ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月29日

海岸通団地にて

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今日は桜木町の海岸通団地に行きました。
昭和30年代に建った団地です。エレベータのない5階建ての、とてもなつかしい感じの、これぞ団地。
9棟あったうち都市整備公団の再開発プランによってすでに5棟がこわされ、
高層団地に建て替えられようとしています。

年末に上映会をやった「海岸通団地物語~そして女たちは生きていく」の30歳の杉本暁子監督と
映画の中にとり上げられている、団地に住む画家の女性Hさんのお部屋におじゃましました。
いままで家賃数万だったのに、高層団地になると家賃が3倍にもなるんだそうです。
年金生活者や年とった単身者ばかりで、住み替えられるのかどうか、路頭に迷うのか、と
国会議員陳情にも行くんだそうです。尊厳ある女性です。

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写真はいま絵画教室に使っていらっしゃる部屋からの風景です。

居住空間を追われる問題、でも市内でもあまり知られていません。
自分の住んでいた部屋がこわされるのを自分で撮ったという写真が貼ってありました。
どんなきもちだったかと思う。

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あざみ野で 6月に「海岸通団地物語」の上映会が準備されています。またお知らせします。
Hさんの絵の展覧会とお話を聴く会、映画上映会を有志でできたらいいね、と
団地のおともだちのSさんお手製の餃子をご馳走になりながら話しました。
Sさん、とても面白い方でした。笑いは人生で最も大事なことの一つです!
美味しいお店や、料理の話にも花が咲きました。
関内のアパホテルの1階のランチはピザがとくにおいしいそうだ。。。

海風がそよそよ通り、すてきな休日になりました。

伝えられるべきことはなんなのか。

Hさんは「絵なんて何の役にも立たない。焼いて食べられもしない。それを肝に銘じながら続けている」とおっしやった。
こんな写真ですみません。。。

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posted by こぞっぺ at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 作品紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月06日

春は不調

このところ毎年、2月後半からこの季節にかけては不調。
不安定、といってもいいけれど、もともと安定すると不安定になると言うやっかいな性格でもあり、
もてあます。

最近、タイトルのアートとはほとんど無縁に暮らしているみたい。
セルフヘルプとはいつも近いところで暮らしているみたい。
M子ちゃんから久々、長いメールをもらった。
生活のため、むかしとったきねづかの美容師に復帰します、と。
いつか出張美容師&マッサージ師としてお招きしたい、と返信す。
それは個人でというより、コミュニティの場として、と思う。
そういうコミュニティをつくれていたい。

中間の世代になって、いろんなことを調整すべき役が多くて
ともすると、意味のないことまで役がまわってくるし、焼きがまわってくる?
わけわからん。
それでも、若いときは人のことなんてほとんど興味がなかった。
いまは、変に世話焼きすることも多々あり、どういうスイッチなのかしら、
それは働いてきて開拓された資質、と思うとおかしくなる。
にんげんはやっぱ社会的どうぶつだなあ。。。すいません。ちょっと酔っ払ってます。。。

いろんな人と別れて 春はつらい。
病気になれたらいいのに、と思ったりする。
少なくない人たちがそう思っているだろう。なんてこった。
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2010年02月27日

手紙

今日午前に 10年近く共に働いたなかまの訃報をきいて、
ああもう会うことはかなわないのだ、と思った。
まだ出会っていない人やことに出会うために、もう少し生きていよう。
そう思って生きている。
でも、先にたおれて、いってしまう人もいる。

彼女、M子とはいつも美味しいビールを飲んだし、
私のつたない歌の会にも何度も来てくれたし、
大阪のお好み焼きを食べさしてくれた。
一回りお姉さんであったが
家に遊びに行った時に見た、若い頃のミニスカの写真はいまもおぼえている。
京都での学生時代の話、人を笑わせて何ぼの大阪人としての気概、
いっしょにいると楽しかった。

「いつか会おう」
肉体が滅びたあとの世界かな。。。
祈るにはあんまり、かなしいです。
posted by こぞっぺ at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

『こころのたねとして』

「こころのたねとして 記憶と社会をつなぐアートプロジェクト」
こたね制作委員会(2008)

という文庫本を読んだ。
つくったのは NPO法人 こえとことばとこころの部屋(ココルーム)である。

上田かなよさんという詩人の代表者の感性にはとても近しいものがあった。
よびさまし、記憶し、伝えたい、なにがしか定着させたい という欲望から自由になれない。
ということだろうか。
このアートNPOはいま、大阪のよせば釜ケ崎の一角で活動を展開している。

「こころにたねもつこと アートと社会のかかわりの可能性をさぐる」より
備忘録を記しておく。

・時間を共有しながらすこしずつ相手のことを知っていく。いろんな立場や事情の人がいる。他者の背景がみえてくる。このプロセスが重要なこと。おしゃべりを通じて、社会の問題が言説化される前に察知し、事業化を進めてきた。利己的な活動に利他的な要素が混ざって、、、これが公共性ということ。

・現代社会の都市で、消費ではない時間があることにとても価値がある。お金を使わずに過ごせるということ。

・ココルームの立ち上げから、関わる人たちのほとんどすべてが仕事について悩んでいた。加齢し孤立するアーティスト。就労できない若者。発達障がいの認知がないため継続的に働けない、など。
そこで2005年から3年間、アートNPOとしては異例の「ニート就労支援」事業委託を受け、アートによる包摂型就労支援事業を行った。

もうじゅうぶん。
ソーシャルインクルージョンという言葉も知らずに、展開されてきた事業の数々。
言葉は後からついてくるものなんだから。
目的的に行われるがゆえに力を失っていることがなんて多いことか。
言葉にならない前に察知するのが表現、やむにやまれず表現すること。
なにもないところから たねをまいていくこと。拾っていくこと。
posted by こぞっぺ at 23:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 備忘録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

寒い日のおさんぽ

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アナーキーママ1号から4号のママたちが運営する山手ゲーテ座のカフェにて。
思いつきスープのランチとポストカード1枚が付いて 850円。
レトロなデザインのマッチたちがとてもよかったのに、間違ってデータ消してしまった(泣)
でもやっぱ、姉妹店の金曜日の寿町のほうがおもしろそうではあった。
置いてあるポストカードやミニコミ、しんぶん、チラシ、などのシンプルだけど
時間とこだわりのつまった一つ一つにけっこうはまります。

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アナーキーママ は
わたしの好きなボーカリストのさとこちゃんと仲間たちがやっています。
「日々の積み重ねが創作の根源」だそうで、女性アーティスト=ペロリストを名乗る。
くいしんぼうなんだ、きっと。
「食べること」「育てること」「つくること」をよりいっそう楽しむために 人やもの、街 すべてを巻き込んで進めていく「おいしい生活」をめざした生活環境愛着団体 とも名乗る。
そーとーへんですな。


元町へとつづく裏の坂を降りていたら、こんなところが。
この書体! わたし、けっこう書体フェチでもあり。石垣ふぇち(とくに角のとがった部分)でもあり。うっ。しびれる。

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少し歩いたら、去年造成中だった新名所、現る。
アメリカ山公園。
ヒマラヤ杉(マツ科。かふんは飛ばないそう)の右奥にマリンタワーがちらっと見えます。
夜11時まで開園しているそうだ。きれいだろうな。園内にあるエレベーターに乗ると
みなとみらい線の「元町・中華街」駅に直結。

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今朝はなんだか骨盤がゆるんでしかたなく 
予定のない休日は何ヶ月ぶりかしらー と幸せたんのう ぶらぶらしていたら
「今日来るはずだったのに どうしたのです?」と 伝言メモ。
うわ。そうでした。しっぱいしっぱい。
毎日をぶらぶらしたいものでR
posted by こぞっぺ at 20:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 路地裏さんぽ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月07日

まいったー

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渋谷駅から歩いて3分のところにあります、東福寺。ひっそりと山寺のようです。
11月、12月とほとんど毎週通いました。もみじが刻々と色づいていくのが美しかった。
写真は今日。ピンクのしだれ梅が咲いていました。
付近の店のランチメニューもくわしくなりましたが。。。
こちらは看板です。
悟らなくていいから、道に迷うための地図をずっと探していきます。
もう長いこと、探しているけど見つからない。。。

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いえ、入門は寺にではなく、ここから歩いて30秒の 日本生産性本部★ 
すごい名前です。せいさんせい!
しかし、色々学ぶところがありました。
組織のミッションを提示した看板ひとつ、キャッチコピーひとつ、、、
こんな看板です。
「わたしたちは、●●します」
「ほんとうか」なんていう人はいない。
うーむ。言った者勝ちですな。。。

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うわ、こりゃだめだと思って、ここんとこ自粛していたことを始める。

その1  
まいったー ついでに ツイッター
http://twitter.jp/kozoppe

その2  
本を買い込む。
読み始めたのは『こころのたねとして ~記憶と社会をつなぐアートプロジェクト』
大阪のNPOココルーム(こえとことばとこころの部屋)の人たちのまとめた報告。
帯には以下のようにある。

2007年、大阪・新世界を舞台に実施されたアートプロジェクト「こころのたねとして」。
詩人、劇作家、ラッパーなど異なる分野の表現者たちが、この街で暮らす人々の記憶を聞き取り、そこから紡いだ物語を朗読によって再び伝達することを試みた。
今、表現は社会になにができるのか、アートNPOの現場から生まれた実験的取り組みを検証し、その可能性を探る。果たしてこころのたねは芽を出すか?

もともと概念ではない、アート活動を意味づけて位置づけていこうとするのは果敢な試みだけれど、
言葉が勝ちすぎてみもふたもなくなってしまう場合が多い。生きてうごめいていくもの。
この本はちょっと違うような気がする。わくわくする。

posted by こぞっぺ at 22:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月05日

締め切りは過ぎました

「30代半ばから40代半ばまでの10年間は“締め切りの10年”であろう。この10年間は、自己のキャリアアンカー(よりどころ)を明確にし、方向性を最終決定する重要な10年である」(シーヒー)

締め切りは過ぎました。確かに。
私のよりどころは、安定ではなく創造性、そして自立、社会貢献、チャレンジなどがあてはまるな、とテキストを見ながら思う。
安定すると具合が悪くなってくるんだもの。
揺らぎがないと生きられない、困った性分です。

資格試験の一次まであと3日。そうするといつもはしない料理をしたり
冷蔵庫のそうじをしちゃったり、マッタクコマッタ。。。

久々に学ぶことは楽しかった。これから、臨床心理やアサーションについても
もっと深く学びたいと思う。
キャリアカウンセラーの第一人者である宮城まり子さんに教わる幸運を得た。
辛口の語りはスピードもあって心地よかった。テキストもわかりやすくて奥が深い。

人は「自己への気づき」によって変容する。気づかない人は変わらない。
したがって研修(ワーク)は参加者が自己への気づきを深め、行動変容が起きることが真のねらいである。そのためにはグループによる話し合いが大切である。
人は他者の話を聴き、自己と照らし合わせ、そして自分について他者に語ることを通じて、
自己洞察を行い、気づきを深めることができる。

ふだん行っていること、感じていることにどんどん理論的な根拠が与えられる。

そもそも、研修嫌いの自分がなぜ資格をとろうと思ったかというと
これまでのキャリア支援の理論や方法ではもはや、これからの若い世代の支援はできないと思ったから。
別の何かをつくっていくには、これまでの方法論を基本を知らないといけないから。
それはむかしピアノの師匠にくりかえし、基本のコード進行を叩き込まれたことが影響している。
「基本を知らない者には逸脱もできないんだよ」っていうのが師匠の考えだった。
それは構造の把握をするということであり、役に立ったし、いろんなことに応用がきく。

ハンセンは、統合すべき人生の4つの要素を
働く・学ぶ・楽しむ・愛する
であると言った。
あと40年は生きるとしたら・・・
私にとって「働くこと」は、その統合は、つくりだす・生み出すことだなあ。
生を終えるときに、生きてよかったと思いたい。
締め切りは過ぎたから、次の締め切りを自分でつくりましょう。

posted by こぞっぺ at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする